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2015年8月22日 (土)

夜中に出歩く少年少女の怪

高槻殺人事件。

また痛ましい事件が起きた。
無論、人を殺した犯人が一番悪いのは間違いがないのだが、今回の場合、犯人がターゲットを物色していたと見られるところに注目すべきだと思う。
この手の事件は度々起こっていて、その度にマスコミは大々的に取り上げるのだが、共通点は、夜中に子供がブラブラしているという事で、そこが一番重要な部分なのだが、マスコミはこの事を意図的に避けている。

マスコミは報じる。
指紋が残っていない。計画性がある。

マスコミは街角にマイクを向ける。

あれ?と思った。
数多くの意見があっただろうから、その中には
「夜に子供の外出を容認した親の良識を疑う」
といった意見もあったのではないだろうか。

マスコミの報道を整理してみる。
犯人には計画性があった。
ターゲットがあった。
ターゲットは夜間放浪の子供。
犠牲者の親は夜間放浪を容認していた。

見方を変える。
親が子供の夜間外出をさせない。
犯人のターゲットにならない。
事件が起きない。

更に一捻り。
親が子供の夜間外出をさせない。
犯行計画を立てる原因がない。
何も起こらない。

ついでだからもうひとつ気になった言葉。
「防犯カメラ」

今回もこの言葉が頻発したが、
今回は「えさ」である夜間放浪少年を写し、餌に食いつく「動物」である犯人の特定に役に立った。
こういうのを「防犯」とは言わない。「観察」である。
「防犯カメラ」であるのなら、写った事に対して何らかのアクションが必要である。
今回、放浪少年が写った時点で少年達を保護すれば「防犯」になった筈。

「カメラがあるのだから犯行を思い留まる筈」=「防犯」
であるならば、「防犯カメラ」は「犯行特定に役に立つかもしれないカメラ」、あるいは「防犯に効果があるかもしれないカメラ」の略なのかもしれない。

殺人は許し難い。
しかし、マスコミに登場する「コメンテーター」には、色んな切り口を示し、今後の本当の防犯に繋がるコメントをして欲しいと思うのだ。
被害者の関係者に配慮するあまり、事の本質を避けるのは本末転倒である。
被害者の関係者の「後悔」こそ、事の本質である。
配慮のあまり、今後「後悔する人」を生み出さない為にも。

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